感謝経済との出会い13

感謝されたいから行う善行は偽善か?

結論は出ています。

「やらない善より、やる偽善」です。

実際にやって喜ばれた事実があることが大事だと思います。

実体験で私が東日本大震災被災地での活動の始まりが、

私の会社の宣伝にならないか。

という正直偽善極まりない邪念そのものだったからです。

ですから私は自分を客観視して「良い人アピールしてる」自分を

冷ややかな心の目で見ていました。

ある人から「感謝されたいからやる行いは善ではない!」と真っ向から否定され、

それは卑しいことだ!とまで言われました。

一見正当な意見に聞こえますが偏ってます。

だったら何もしない方がいいのでしょうか。

まずはその考えを正してから、やらなくてはいけないのでしょうか?

それでは遅すぎです。

私はまずは先に、行動して相手に喜んでもらうことが大事なことだと思います。
結果的に行動したことで多くの気づきと学びをいただきました。

実際に行動して初めて経験値が1になります。

やらなければ0です。0は0で何も始まりません。

この1と0の差は大きいのです。
0(やらない)と、1(やってみる)の間にスイッチがあって気づきが得られます。

感謝経済のスイッチが入ったとき、とんでもないことが起きるのです。

「ありがとう」感謝の力は無限大

「ありがとう」の力  感謝の力

脳(感情)は電子の状態(物質)を変える交換台


「ありがとう」の言葉で
心も変われば、体も、もの(物質)も、起きている事態も変わりますし人生も変わります。

相手の念からも働く 「ありがとう」の水の原理

他から見て自分自身の存在が「ありがとう」であるために、
人の感謝につながる行動を意識
して振る舞えば、相手の思い(念)からも
「ありがとう」の水の原理で起きていること(還元)が自分にも起きるのです。

逆だと、他から見て自分自身の存在が「ばかやろう」だった場合(酸化)は何をやってもダメにして腐らせてしまいます。

「ありがとう」感謝の力すごいんです。

メンターシップ=お役立ち精神を養うには

メンターの特質

◯お役立ち精神、サービス精神が旺盛。


自分がやって欲しいことと、相手がして欲しいことは違うことが多くあります。
こっちは良かれと思ってやったら大失敗⋯なんてこと、よくある話です。
その前に
「何かお役に立てることありますか?」
「私でよければ力になりますが、何をしたらいいですか?」
「何か手伝えることありませんか?」のような
相手が何を求めているかを知ること、先ず聴くこと(傾聴)
相手の感謝につながる第一歩です。

◯信念は強いが柔軟、「ゆらぎの概念」を備えている。


「絶対にこれだけは譲れない!」信念を最後まで通す!
という人がいますが、一つ間違えるとただの頑固者です。
信念は大事です。でも自分の判断を見直すことも大事です。
ある人が
「自分で自分のことを決めるほど、あてにならない」と言っていました。
メンターは考え方に偏りがないよう
周りの意見と自分の考えとの相対で判断します。
「確かにそうだよね」
「あなたの言う通りだよ」
「なるほど、そういうことね」の言葉を入れると人間関係が変わります。

◯いつもプラス受信。いつも人を励ます。


当然ですが
自分の夢や願望を支えてくれる人(ドリームサポーター)や
将来は希望に満ちているの信念を持った未来志向の人
みんなが求めています。
「いつも頑張ってますね」
「いつも力もらえてます。ありがとうございます」
「私も見習いたいです」
人を讃える、賞賛することの習慣をつけると
自然に自分の方に関心が向いてきます。

◯いかなる状況においても楽しむ。


その分野をやり抜くこと。続けることです。
何でもいいからルーティンにすることです。
仕事でも休日でも、同じ時間に起きるとか
「朝起きたら先ず水を飲む」とかでもいいのです。
小さなことでも積み上げると山になります。

◯謙虚で自然体。


メンターは自他共に信頼しています。
「自信が無い」という人がいますが
自信ってなんでしょう?
自信とは字の如く「自らを信じる」ですから
自分で自分のことがあてにならない。と言っているのです。
自分が信じられないと、人も信じることが出来ません。
ではどうしたらいいのでしょう。
それは
自分のメンターを探すこと、求めることです。
一般社団法人ブロックチェーンメンターバンク 北原貴之

酸化とは⋯酸化を日常に置き換えると

必要だから存在している

電子を奪う活性酸素、酸化と聞くとシミ、シワ、タルミ、老化、病気の犯人と思われますが
実はその存在のおかげで健康が保たれています。
酸化があってこそ身体機能に危機意識が出来て
反発して免疫力、代謝が活性します。
酸化は電子を奪われることで不安定になり吸引が働き電子を引き寄せます。

酸化を日常に置き換えると

酸化を日常に置き換えると困難、逆境、苦難、不満、不安定、恐れ、怒り、悲しみ、妬み⋯

しかし、これら問題の出来事があることで人生が豊かになっています。
先程の体で起きている
酸化があってこそ身体機能に危機意識が出来て
反発して免疫力、代謝が活性します⋯と同じです。

酸化、病気からの学び

酸化は気づきのきっかけです。
私の友人の娘さんが若くして末期の癌になり、何度も転移を繰り返してますが奇跡的に3年の間存命しています。
当初は家族ごと奈落の底に突き落とされたようなどん底状態で、まさに酸化状態でした。

しかし娘さんの病気をきっかけに家族の向き合い方や考え方、健康に対する考え方
食事の内容から全てが変わりました。
それと、重篤な病を持つ同じような境遇の家族に対し
気持ちを汲めるようになって、励ます、力を与えられるようになったことは
病気(酸化)からの経験を通じて得た財産と言えます。

愛別離苦

人は必ず出会いと別れがあります。 縁が切れるのか、死別するのかのどちらかです。
この3年間で私の柔道部の同級生と先輩が3人突然死しました。3人とも心不全でした。
3人とも不摂生で体に良いことはせず、身体に悪いことばかりの生活でしたから仕方ありません。
突然死だから楽⁈私はそうは思えません。
学びの機会も考えることも何もなく、人生が終わるなんて生きた意味がありません。
その時、重篤な病気(すぐに死ねない)をして痛い思い(酸化)をして反省し
自分の体に対して労(いた)わり、生活や食事、運動をしていたら、
それと家族や周りの人たちに感謝する心に気づけたら。

仕事や人間関係も同じことで失敗して、この酸化から学び改善して良い方向(還元)に向かう。
このように酸化と還元の繰り返しステージを上げていき成長してくこと

逆にならない生き方をしたいものです。

心はどこにあるのか 量子論的考え

体は心の入れもの


体は形があり目に見えますが、心には形がなく目にも見えません。
しかし肉体は精神の象徴と言われるように
その人の考え方、心というのは顔つき、姿勢、体型に見事に現れるものです。
若いうちは肌もキレイなので美しく見えても
年をとって若さの特権が無くなれば、性格がそのまま顔つきに現れ、言葉、声にも人格が出てきます。

心はどこにあるのか


では心というのが体のどこにあるのでしょう。
西洋では心臓に心があると考えられており、ハートというのもそのためです。
中国では下腹の丹田、インドでは喉仏、医学全般では頭、脳にあると言われています。
全ての物質は素粒子から出来ていると考える量子論では
心はエネルギーの陽子(+)にあたると考えられ、体(物質)そのものは電子(−)となります。

つまり心というものは体の特定の部位に特定されたものではなく
「体全体にも心」がありエネルギーに満ち溢れて外にも放出しています。
それが雰囲気、オーラ、顔つき、姿勢、体型に現れます。
体の機能として脳が司令塔になって中枢の
自律神経の交感神経、副交感神経で体の機能を支配し調整をしていますが

出来事で心が動く、 反応する体の部位

生きていると日々の中でいろんな出来事があるものです。
起こる出来事によって
怒り、憤(いきどお)り
悲しみ
喜び、悦び
憂い、不安
恐れ、驚きに反応してしまいます。

「腹が立つ」「落ち込む」「緊張する」など頭では分かっていても
感情はコントロールすることは困難です。
ようするに脳に心があるというのは疑わしいのです。
人が感動したとき
「頭が真っ白に⋯なった」とか
「何も考えられない⋯」とか言います。
このことから心は体にあると考えるのが自然でしょう。

体は莫大なエネルギーの集まりです。
続く

肉体は精神の象徴

疾病信号
肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号

疾病信号の一節で⋯

『人は、骨と肉と血と皮と⋯から出来ているが、これだけで生きているのではない。
たましい(魂)すなわち心があって、一人の人間として、生命があるわけである。』

『⋯心には形はなく、肉体には形はがあるが、この二つが全く一つになっていて、
ちょうど電球(肉体)と電流(心)とのようになっている』


多くの人が、この一説を読んだ時、まさにその通りと思われたでしょう。
心と体は一つのなっている証明は
人は驚くと体はドキッとし、恐ると体は固まり
悲しむと息が浅くなり溜め息が出て、
憂うつ、不安になると食欲を無くし胃が痛くなりますし、
怒ると血が上り、喜ぶと浮き足立って軽くなります。

このことから
肉体は、心のいれ物だと言える⋯
形のない心を形ある肉体の中にいっぱい入れているのであり
またその心のようすで、容器の肉体が一々変わっていくので、
「肉体は心の象徴」というより外はない。』

目には見えない心ですが体が心を現しています。

顔は生き様を現す

肉体は精神の象徴と言うように体型にも出ます。
運動をせず不摂生、食べたいものを際限なく欲望に任せて食べる。
そうすれば結果は明らか。
生き様、考え方というのも実に顔に出るものです。
アメリカの16代大統領のリンカーンは、「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」といわれ
そして、評論家の故大宅荘一氏は、テレビ出演中に「男の顔は履歴書…」という名言を残しています。

進化はエネルギー理論

酸化を還元して来た人 して来なかった猿

ダーウィンの進化論には疑問を投げかける人がいます。
猿から人間になるわけが無いと。
今は猿と人を見たら似ても似つかないですから
進化論否定派は少なくありません。
しかし猿から二足歩行の原人から⋯ネアンデルタール人⋯人になったと言いますが
猿は猿のままで、人はどうやって、そこから500万年かけ今に至るのか。

思考が全てをつくる

人へと進化していったのは、肉体的な進化より先に思考がありました
希望的観測の思考が持てる人だけが進化して来たと言われ
希望的観測が出来ず進化しなかった猿は今のまま変わらなかったのではないかといわれいます。

酸化を還元したいは「ゆらぎ」宇宙の波動から

希望的観測を持つこととは
未来、将来があると考えられ
後で困らないようにするにはどうしたらいいか
生き残るにはどうしたらいいか
より良く暮らす、生きるにはどうしたらいいか⋯
など
現代とは違った、その時代の不便をいかに便利にすること(酸化を還元すること)
考えられる人の祖先と云える0.1%以下の極々一部の天才猿と、
現状維持で未来を考えられない猿とで分かれていったのです。

思考がかたち(物質、実態)をつくる

思考、考えが体を変えます。
体のことはどうでもいいと考えると
見るからに、気を使っていない体型になっていきます。
最近の若い子の体型と40〜50年前の、当時の若い子の体型は
顔の大きさから手足の長さは明らかに違います。
遺伝的に受け継いだものもありますが
思考がそれを勝るのです。

ここ数十年でも日本人の身長も体型も進化して来たのですから
何百万年経ったらどうなるんでしょう?

思考がかたちをつくる

そう考えると500万年かけて一部の猿から人間になっていったのは
不思議なことではないですよね。

エネルギー理論 挫折感(酸化)はエネルギー⑻

常に相反的、排他的なものの見方をすると

白か黒か、正しいのか正しくないのか、敵か味方か。
いつも敵をつくり、敵がいることで自分の存在感があると考えます。
(隣の国みたいに⋯)そうなると⋯
自ら相対で摩擦を生み、その摩擦熱が妄想、心配のタネが湧き出て来て、
いつもイライラして不安で憂うつになります。

でも⋯そういう人は
味方の時は好感が持てる良い人ですが⋯
一旦、敵になると手のひらを返したかのように豹変します。
要注意です^_^;

自ら相対で摩擦を生まないためには

相対で戦わないことです。それは⋯

右か左か⋯右でも左でもない、どちらでもない考え方もある。

正しいか間違っているのか⋯そのときは間違っていても
後に正しかったと言われる事もある。

敵か味方か⋯敵に見えても見方を変えると
敵は自分を構成してくれる成長因子にもなります。

順調か逆境か⋯
逆境こそが重要な成長因子で順調な時の方が危ういのです。
逆境は「このままではダメだ」と必死で考え、多くの学びを得ますが、
順調な時は心配も無いため「そのままでいい」と思ってしまい安心してしまいます。

二つ(相対)を一つとして考えるのが「ゆらぎ」


不二一体の思想こそが、自らの心の中で敵か味方をつくらない
そうすれば摩擦熱も起きませんし、心配事も起きたら起きたで改善のタネになります。
そう考えられるのが「ゆらぎ」というものです。
そして今の世の中は「ゆらぎ」によって創られています。

続く⋯

【不二一体の思想】とは⋯一つに見えるが全ては二つで出来ていること

エネルギー理論 挫折感(酸化)はエネルギー⑺

「ゆらぎ」そのものがエネルギー理論


「ゆらぎ」ってなんですか?と聞かれます。
残念なのが「ゆらぎ」は奥が深くて一言で説明出来ないことです。

ゆらぎとは科学用語です。

「ゆらぎ」は0と1が交わり0から1になる。
+と−が交わりエネルギーが生まれる。
段階が変わる。無から有になる波動、波と言えます。
混沌、カオスも「ゆらぎ」があるとまとまり洗練され混沌から秩序に向かいます。
うーん⋯難しいですね^_^;

「ゆらぎ」は相対のどちらにも偏らない

「ゆらぎ」は相対の中間にあって、それが無いと
「白か黒はっきりさせよう」
「絶対それはあり得ない!」
「私は悪くない!悪いのは向こう」
「こんなに頑張っているのに認めてもらえない!」
「世の中が悪い!おかしい!」など偏りあそび、余裕がありません。

あそび=「ゆらぎ」です。

あそびが無いと車も飛行機も電車、家もビルも強度を保てません。

人間も関節にクッションの役割を持つ軟骨と関節包があり、
あそびの役目をしているため衝撃を吸収して怪我の予防するのです。

心にもあそび=「ゆらぎ」を

白黒はっきり。右か左か。正しい正しく無いで決めつけるのは
あそびの無いハンドル、アクセル、ブレーキの車を運転するのと同じで、
考え方が常に急ハンドル、急発進、急ブレーキです。

常に相反的なものの見方で、白か黒か、正しいか正しくないのか
いつも敵をつくって戦っています。
そうなると⋯自ら相対で摩擦を生み、その摩擦熱が妄想、心配のタネとなり
いつも不安で憂うつです。

「ゆらぎ」があれば戦いませんし、新たな気づき、閃きを得ます。

長々とすみませんm(__)m
それくらい「ゆらぎ」は深い!続く

エネルギー理論 挫折感(酸化)はエネルギー⑸

「ゆらぎ」の大切さ

「それはありえない!」
「合わないものは合わない!」「嫌なものは嫌」
「右は右、左は左!」
「白かか黒か、はっきりさせよう!」と言っているうちは
「ゆらぎ」はありませんし、何も生まれません。
何かが生まれる時「ゆらぎ」があります。

ゆらぎは科学 全ては科学(化学)反応

我を張る。我を貫くこと。一歩もゆずらない。
自然界でいうと対応力が無いということで滅びていきます。

相対の間にあるもの 「ゆらぎ」

0には、いくつ×かけても0は0と数学で習いました。

生活に置き換え
0を経験が「ない」 1は経験が「ある」
経験無し0か経験有り1かは大きな差です。
同じ経験を1回してるのか2回してるのかの差の
違いもあるとは思いますが
「やったことがある」「やったことがない」
「見たことがある」「見たことがない」
「触ったことがある」「触ったことがない」
というように0と1の差の方は途方もなく大きいのです。
その大きな差は
そこに「「ゆらぎ」があるのか、ないのかが関係します。
0から1の間に「ゆらぎ」
「ゆらぎ」があると0を1に出来るのです。

電源スイッチのように人にもスイッチがあります。
電源スイッチのマークは0が1になる瞬間を表したものです。
未経験から経験するとき
何でも初めてやる事には緊張します。
緊張と不安で喉が渇き汗が出ます。まさに酸化です。
でもこの状態が続くことはなく解消して還元します。
酸化と還元を繰り返すと段階が上がり緊張感が心地良さに変わり
酸化を還元に替える、酸化をエネルギーに替えるスイッチが出来るのです。